就職氷河期でなんとか就職した先での出会い
ご訪問ありがとうございます。( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
私が初めて就職した「学校」について書きたいと思います。
私が就活に差しかかる時は、それはそれは就職氷河期でして。先輩も「就活は大変だから、早めにやっておいた方がいい」と豪語するほどでした。
私が通う大学は私立の文系だったので、尚更就職難だったかと思います。
当時目指していたのは、教員でした。
中高2種類の教員免許をとるために、結構頑張ってましたが、採用試験の壁は厚く…正規採用には至りませんでした。
私の受験する教科の倍率は、40倍が当たり前だったんですよね〜。今とは大違い(^_^;
その倍率で受かってらっしゃる方の優秀たるや…と思ってしまいます。
とりあえず就職しないといけないと思って、講師登録をしたり色々動いていたら、私立高校の非常勤講師のお話が舞い込んできて、無事に仕事に付けることになりました。
ここからは突っ込んだ話になりますが、持った教科は私の専門外だったので、とても大変でした。
大学は日本史専攻だったのに、世界史を教えることになったんです💦
こういうことは講師の世界ではよくある話。。。と、学部生時代に聞いていたけど衝撃を受けました。
務めることになった学校の非常勤講師は、授業時間数と勤務年数に応じて机が割り振りされます。
当然、社会人一年目の私には、自分だけの机はありません。
共同で使うということは、教材を置いていくことも難しく。勤務時間が重なるとどちらかが使うことになるのかと、お互いに気を使ったりして大変でした。
あとは本来なら非常勤講師は勤務時間外の仕事はないのですが、若手であるということでいろんな教科の研修に参加しました。
そんな職場でもよい出会いはあって。
勤続年数10年を超えるベテランの英語の非常勤講師の先生は、新卒採用の講師陣にとても気を使ってくださり、勤務する上でのコツなども教えてくださりました。
私の教育自習先は中学校だったので、高校での勤務は新鮮でした。
また私立なので、入試の監督業務もあり、貴重な経験をさせていただきました。
その学校での勤務は一年だけになったのですが、お世話になった英語の非常勤講師の先生とは、しばらく連絡を取り合っていました。
講師として生き残るには、
「やります。できます。やらせてくだい。の精神で仕事をとってこなといけない。どんな授業でも持ちます、その気概がないと生き残ってはいけない。だから自分の力を磨くことをやめないでいってください。」
その言葉をいただいたのが、今でも心に残っていますし、私の原動力になっています。
その後、私は公立中学校講師に就くのですが、これまた授業中にガラスが割れるような学校で、なかなかのカルチャーショックを受けました。
でも、この中学校での出会いもまた、私の教える立場としての価値観を大きく変えていくのです。
「自分の力を磨く」
この言葉は、今でも大きな指針になっています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
キャンペーン[] #しごとの思い出