【否定的な言葉を使わない】こどもは親の鏡
ご訪問ありがとうございます。
一側性難聴の長男が、七海ひろきさんの音楽だけはきちんと聞き取れ、歌えることについて書きました。
園児の時は、お友達から歌詞の間違いと外れた音程のことを指摘され、『歌うこと』が嫌いになっていたから、その観点からみても今はとてもいい感じです。
さて、音楽に、歌うことに興味が出てきたということは、普段から家でも音楽をよく聴くようになるということで。
それなりに生きていれば、思い出の曲って必ずありますよね。
これは休校中、音楽をきっかけに、親子関係を見直した話です。
私は中学校で働いていました。
採用試験倍率40倍のなかを突破できなかったので、講師としてですが。
勤務校では、いわゆる荒れていた学校であったこともあり、若い先生に親近感を覚えてくれる生徒がたくさんいて。
若さゆえに失敗したことも多いけど、楽しかったこと、生徒から学んだことも多く。
私の大切な時間であることは間違いありません。
中学生って、義務教育の最後だから。
学校という『箱庭』生活の終わりで。
もうこれからは大人が守ってやれることも少ない。
しっかり、自分を見つめて、頑張って生きて。
そんな気持ちで毎年見送っていました。
だから、ついつい卒業式や体育祭の時の音楽って、その時の気持ちを思い出して泣いてしまうんです。
今では亡くなってしまった教え子もいるから、余計に感慨深くて。
たまたま、長男がYouTubeで音楽を聴いているときに、その時の音楽が流れて。
涙が我慢できなかったので、隠れて泣きました。
でも、それを運悪く長男が見ていて。
「どうしたの?」って聞くから、きちんと説明したけど。
「え?やば。かーさん昔のことなのに、まだ泣くの?やばくね?」
・・・と、予想していた返事と大きく違うものが返ってきまして。
少し、腹が立ちました。
長男の学年が、何かあるとすぐに『やばい』って言葉を使う雰囲気になっていることは知っていたけど、ここで使われると嫌な気持ちしか残らない。
声が、バカにしたようなトーンだったからだ。
だけど、
私の気持ちは、私のもので。
それを長男は理解することはできないから、『やばい』という表現なんでしょうけど。
もう少し違った言葉を投げれませんか?と言うと、
「え?嫌な気持ちになったの?」
と申し訳なさそうに返してきたので、これは今、道徳の授業するしかないわと思いました。
理解できなくてもいい。
ただ、否定はしない。
そのことを伝えなくてはと。
その題材として、彼の好きな歌を例に挙げて話をしたんです。
(この時は米津玄師さん)
そうしてやっと、『やばい』という言葉を使う時の注意と、否定された時の気持ちの確認ができました。
でも。
落ち着いて考えると、否定的な言葉を私が普段から使っているような気がしました。
『~しないで』『~してはいけない』『~だからだめ』など。
否定的な言葉を使ってくる人に、優しい言葉をかけることは大人でも難しいですよね。
言葉は返ってくると言うし。
普段の言葉が、色んなところで影響することなんて忘れてしまっていました。
普段から優しくされていないから。
優しい言葉をかけてもらっていないから。
だから、母親に優しい言葉を使わないんだと言われたら、何も言えません。
言葉のチョイスが、普段から少し違う長男にかける言葉だからこそ、私が気を付けないといけないのに・・・
幼児期には気を付けていたことなのに、もうそんな余裕、私にはなかったのだと思い知りました。
長男の入学と義両親との同居が、同時に始まったことも、余裕のない原因の一つではあるけど。
時間のなさ、心の余裕のなさは、言葉にも生活にも出てくるものだと改めて感じました。
きっと余裕のなさは、これから幾度となく訪れるのでしょう。
今の現在、世の中は落ち着いているとは言い難いし、子どもは子どもで、年齢が上がるにつれて悩みも増えてくるし。親もしかり。
どんな時でも、相手のことを『否定しない』言葉使いができるようになりたいものです。
わが子だから、つい感情が先走ってしまう。
感情的な言い方にならなように。
『否定的な言葉を使わない』ように、心がけたいと思った一件でした。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
夜は冷える季節です。
お体にお気を付けください。